「人生、無意味」 だけどそれで構わない
「人生には意味がある」
「人生には目的がある」
「人生にはやるべきことがある」
「人生には夢を持つべきだ」
すべてほんとうにくだらないセリフです。
「意味」とか「目的」とか「やるべきこと」とか「夢」という単語を「この人生がらみの文脈」に入れるからおかしくなってくるんだと思います。
「夢」なんて「眠っている間に見る脳の幻覚」に言語使用範囲を限定してしまえばいいのに。
人生がらみの文脈に使ってよい正しい単語は「目標」くらいなもんだと思います。
人生とは、ただ生殖によって息子や娘という「肉体」が誕生する。「脳」に「意識」が宿る。積齢していくなかで「死」を迎えて骨となる。その時には「脳」の「意識」が消滅する。こういった、設定された人生の流れに過ぎません。
その流れの中には、個々人固有の嬉しいとか哀しいとかの様々な個別の人生物語が存在しています。 でもその流れに「意味」とか「目的」とか「やるべきこと」とか「夢」いう主観的で観念的な単語の入り込む余地はありません。
僕は、「人生という独特の繊細な文脈の中」にこれらの単語を存在させることが間違っていると言いたいのです。
何かの本の帯にこんな概要のセリフが書いてありました。
若者
「最近いろいろ考えちゃって、人生に意味なんてあるのかなぁ、係長はどう思いますか」係長
「おい、お前は意味だけで生きてんのか?」若者
「いや、だいたいは飯食って寝て、仕事して、遊んで生きてますね。確かに『意味だけで生きてる』わけじゃないですね…その返答はちょっと面白いですね(笑)」
「人生、無意味」 だけどそれで構わない
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