努力は成功したときに、無意識に自己正当化される

このことを文章化するのは少し困難な作業だ

僕らは、生まれてから何度も失敗し、成功し、そして現在の自分に至っている
それは、果たして自分の努力の成果だろうか?
自分の能力を最大限生かすべく努力した成果だろうか?

僕らは、「成功」というものを手に入れた時、無意識にその成功を「自分の努力や才能の結果」として多少なりとも誇らしい気持ちで自覚的に受け入れてしまっている部分が多少はあると思う
それって当然誰にとっても喜びになることだし、御祝い事だったりする
努力による成功は人を高揚させる、そんな風景はたくさんある


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高校に合格したとき
大学に合格したとき
就職に成功したとき
職場で昇進したとき
高い給料を受け取っているとき
彼氏彼女が人生で初めて出来たとき
はじめてセックスできたとき
結婚したとき
子供が産まれたとき


こういったものには全て逆が存在する


高校受験に失敗した
大学受験に失敗した
就職活動に失敗した
転職活動に失敗した
無職だ
彼氏彼女ができたことがない
いまだにセックスした経験がない
結婚できない
結婚できない状況がある、障害、重度の病気、様々な理由
子供が産めない体、無精子、受精できない、子宮摘出という手術を受けている
子供が死んでしまった、妻が死んでしまった、夫が死んでしまった

当たり前と思っているものが、当たり前とは限らない
不運というものは、何気なくやってくる
自分の周りの誰にも訪れないのに、自分にだけ訪れることがある
そのときのやるせなさ、ぶつけようのない怒り、悲しみ、理解されることはない
身近な範囲で、その現実を抱えているのは、「自分だけ」なんてことがそこにはある


努力を讃える文字や音は、新聞でもテレビでも本でも星の数ほどある、どこにでも見ることが出来る

でも、努力でどうしようもないことは幾らでもある

努力による成功は人を高揚させる、そんな風景はたくさんある
AKBで有名になれた女の子達、男の子のアイドル、プロスポーツ選手、選挙に通った政治家、医者、弁護士、大企業の正社員の人々、会社の社長や会長
自信に溢れた発言を目にすることはよくある
「夢が叶いました」
「あきらめないで努力したから夢が現実になった、あきらめなければ夢は叶う」
そこには「自らの特別な努力と才能によってちゃんと苦労したからこそ、成功を掴みとった」という自己正当化がはっきりと目に付く
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何ていうんだろう
努力をしないで成功する人は、まあ、いない
多かれ少なかれ、誰もがみんな、それなりに本人なりの努力をして何かを掴んでいる

だからこそ、このとき、その努力による成功は無意識に自己正当化されている
「私は、これを努力したので今のこの位置にいれるのです」という自己肯定


努力は成功したときに、無意識に自己正当化される


本当は大きな「運」が最大の要素として介在している
一番分かり易いのは、病気に罹患していない「運」の良さ
重度の大きな病気を抱えた人々は、テレビの世界でもひっそりと消えていく
重度の病気は軽度の病気と違って、残酷
甘さがそこにはない、過酷な現実の日常生活に切り替わる

どうにもできない人の存在を、自己正当化している人は気づけない
実際、気づく必要もないのかも知れない
だけど、努力すらできない人はいる
どうにもできない人生の不運はある

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友人のことを考える
ある友人は、車に跳ねられ「一生車椅子です」と告知された
だけど、リハビリを頑張って松葉づえなしで現在は足をひきずりながら歩行できている
事故前に結婚していて子供もいる、今は耳鳴りや頭痛に悩まされたままで、無職だ

別の友人は、心臓の血管が壊れていく病気になり、大学を卒業して間もない頃に、大学病院で血管の一部をパイプに交換し、何回か入院手術をして、今も元気に生きている、「重いものは持たないように」と指導されているようだ、同じ病室の同じ病気で同じ手術をした人は手術直後に死んだそうだ、ずっと非正規雇用で結婚せずに生きている

僕自身もずいぶん昔に厄介なモノを抱えて、もう元の自分には戻れないことが医学的に確定した、当時は「理想としていた仕事」を手に入れていて自分の努力に「正当な自信と自己肯定」を抱いていた、でもその時以降、僕は本当に多くのモノとさよならして、その頃の仕事からも外れて、築いていた人間関係とも綺麗にさよならして、まったく別の人生を進むことになった


僕は、成功は「自分の努力や能力の結果だ」と当たり前のように考えていた
でも、そういった少し強気な発想を、もう持つことはない

もう、「成功」やそこに至る「努力」は、正当化しなくなった



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