距離感に名前をつけるー『箱環境内部』の人々・『箱』の境界付近の人々・『箱』の外側の人々

トークの本質は何も考えずに話すこと-それはどうすれば可能になるのか探ってみる」

  • トークのぐだぐだカクテルその5

☆距離感に名前をつける

実際は無意味なことですが、トークを考えるうえで「他人との距離感」に名前をつけて意識化することは、分析的には理解を深めるのに役立つことなので名前をつけてみます。
以下の3つに分けます。
1 『箱環境内部』の人々(場所・時間を共有する人々)
2 『箱』の境界付近の人々
3 『箱』の外側の人々


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『箱環境』というのは、個人的な捉え方ですが、「家庭」や「学校のクラス」をイメージしています。上記のイラストのように人は様々な『箱環境』に所属しています。羅列してみると、

家庭
・幼稚園
保育所
・習い事教室(サッカークラブ・バレエ教室・ピアノ教室など・・いろいろ)
・小学校のクラス
・中学校のクラス
・高校のクラス
・専門学校のクラス
・大学のクラス
・部活動
・サークル
・会社

上記類のすべてに共通することですが、人間は日常的に箱的な空間に出入りし、他人と『場所を共有』して、『時間を共有』しています。


1 『箱環境内部』の人々(場所・時間を共有する人々)
『箱環境内部』の人々は、最も人が親しくなりやすい環境です。人は成長とともに様々な箱に居場所を移し、箱環境のメインは「家庭」・「学校」・「会社」などとなります。「居場所がない」という表現は、どの箱に所属しても疎外されるとか溶け込めないとかいった感覚です。ひきこもりや精神的病気によって、自分の部屋や病院施設等の一室など小さな箱環境に閉じこもり続けるのも人間の特性の一つです。ホームレスになると所属できる「箱」が存在しないという現実を生きることになります。おおかたの社会人は、「家」という箱環境と「会社」という箱環境で人生の時間をどんどん消費していかざるをえません。通常、人は所属できる「箱」が「家」一つだけだと閉鎖的で追い詰められるような感覚の苦痛を感じるのかなと思います。余裕がある環境に一時的にある人は、サークルとか習い事といった異なった箱環境に所属することもできます。トークのメインは、「場所と時間の共有という前提条件」が備わっているこうした『箱環境内部』の人々とするものだと思います。『共有』という環境があるので『共通の話題』を持ちやすい特徴があると思います。個人的には、家族と会話する時間や会社の同じ部署の人々と会話する時間が生活においては大部分を占めています。当然、会話しやすい好印象な人々もいれば、死ねばいいのにと思うろくでなしな悪印象の人々もいます。

☆2 『箱』の境界付近の人々

『箱』の境界付近の人々というのは、主観的には会社の同じ係や課以外の人々、別な部署の人々や接点の多い出入り業者、自分が担当している外部の取引先の人々をイメージしています。またプライベートだと子供の友達の親御さんとか妻の友人とかも境界付近の人々としてイメージしています。雑には扱えない範囲の人間関係です。これらの人々は日常生活において「場所」も「時間」も共有していないので、トークの話題も共通するようなものはなく、当たり障りのない会話でやりすごすイメージが個人的にあります。そして、トーク相手として「何話そうかな~」とか「話すの面倒くさい」とか、個人的には最も感じる苦手な距離感の人々です。主観的には、昔の小中学校時代の友達や、高校時代の友達や、大学時代の友達や、空手道場の仲間などもこの距離感に属します。会う頻度も、5年に1回とか1年に1回とか、仕方ないことですが、劣化していきます。年賀状で関係を繋いでいても、共通の話題は互いにほぼないので、電話しあうことはありません。特に仲が良い数人だけは、数年ぶりにあっても年月を気にせず話せます。ただ、遠く離れている人ばかりなので、死ぬまでにも10回も再会できないような気がします。

☆3 『箱』の外側の人々

この人々は主観的には赤の他人であり、どうでもいい人々です。ある社会学者はこういった感覚と「仲間以外はみな風景」というコトバで表現していました。道行くときにすれ違う人々、電車のなかで一緒に乗っている人々、会社の別な支店に配属されている顔を知らない人々、すべて『箱』の外側の人々です。ナンパが対象としているのもこの距離感の女性です。これらの人々は個人の日常生活においては、話していいし、話さなくてもいいし、互いにとって互いがどうでもいい存在です。会話としては、道を聞かれるとか、お店で注文をするとか、「刹那的な会話」となります。待合室や喫煙所でたまたま話し掛けられて、楽しめるときもあれば、迷惑でうっとうしく感じることもあります。ただ、自分から何かがあって話しかけてみたら、丁寧に返答してくれると嬉しくなってしまいます。


以上、トークにおける人との距離感を3つに分けて分析してみました。特に役立つものではありません。個人的なトークについて考える際の脳内思考の整理に使ってみようと思います。

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