男子高校で体験した昔の理不尽な事柄3つ(新入生歓迎会・野球部歓迎会・応援団練習)

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僕は別記事にしたので省きますが男子校を卒業しています。(20年以上昔のこと)
僕は進学校の男子校は「オタクばかりだろう」と思っていたのですが、実際はそんなことはありませんでした。

運動が得意な生徒は、意外と本当に多くて、中学時代運動部でエースで主将という生徒がクラスに10人くらい揃っていました。テニス・水泳・陸上などの個人競技ではインターハイに出る生徒も結構いました。僕は「この学校ってオタッキー集団高校じゃないんだ」と驚きました。もちろん、オタク生徒も多かったです。

僕は硬式野球部とその後柔道部に所属しましたが、どちらも都道府県大会ではベスト8程度で、そこそこ強豪でした。硬式野球部の一学年後輩で有名だった子は高校時からプロのスカウトが来ており、大学卒業後にプロ野球にドラフト1位で入団し、ちょっと前まで活躍していました。

でも全体としては、部活動をしていない生徒が半分くらい(途中で勉強に専念するために辞める生徒も含めて)だったと思います。

男子高で高校生時代に体験した理不尽な事柄を3つ記録してみますが、男子高出身者だと全国共通なところがもしかしたらあるんじゃないかなぁと思います。

新入生歓迎会

入学して一週間くらいだったか、覚えていませんが、新入生歓迎会ということで、体育館に教師は混ざらず、2年生と3年生が集まっている中に、1年生が整列して入っていく行事がありました。

体育館に入っていくと、上級生の数名のバカが生卵を1年生の顔面や体に思い切り投げつけていました。「最低だな…」と思いました。それから、2・3年生に囲まれてその中で正座を40分我慢するという歓迎会でした。旧制中学からの歴史があるので、陰険な軍隊っぽい行事が残っていました。


★野球部歓迎会

僕は、硬式野球部くらいの理不尽さは平気でした。入部して数週間後に、歓迎会をしました。練習で特別に10kmくらいのミニマラソンでタイムを競った後、通常の練習を午後9時ころまでして、監督は帰宅します。

それから部室に集合して、1年生は一人ずつ一発芸をさせられます。その後、上級生がグラウンドに出て行き、1年生が一人ずつ部室からグラウンド中央まで走って行って、好きな女性タレントを一人大声で叫び、歌を一曲歌います。

それからが、本当の歓迎会の始まりで、ピッチャーマウンド周辺に1年生全員が正座をさせられて40分程度我慢します。(砂の上なので、かなり冷えてザラザラして痛い)

それから、永遠に続くベースランニングを走り続けて、その最中に遅くなったりふらつくと金属バットで上級生が「ケツバット」をしてきます。尻を「バシッ」と思い切りスイングされます。


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これを1時間くらいやって、ヘロヘロになって倒れ込む辺りで練習終了です。そして、やっと歓迎会を耐え抜いたということで正式に部員になったような感じになります。

硬式野球部の上級生への挨拶は、結構全国共通だと思いますが、「学校でも外でもチラッとでも見かけたら大声で挨拶をする」というルールでした。「チワーッス!!!」

体から挨拶を発射するような感覚で挨拶します。挨拶しないと注意されます。でも、本当は挨拶される方も恥ずかしいはずです。特に、「街中では挨拶しなくていいから」という先輩がほとんどでした。

(野球部出身者だと共通経験の方が多いかもしれません。体質が古いんですよね。サッカー部だとこういう儀式っぽいのは無いと思います。)

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★男子高での応援歌練習

僕の男子高で特徴的だったのが、応援団練習です。
最初の登校日から一ヶ月程度の期間で、朝7時から8時まで、午後3時30分から4時30分まで一日2回の練習がありました。そして全部で20曲くらいある応援歌を何も見ずに暗記して歌って覚えます。

1年生は家や休み時間に必死に歌詞だけ書いてある冊子を見て、とりあえず歌詞を覚えます。その歌詞が書いてある冊子は応援練習中に見ることはできません。

この練習時間は、学校の教師は一切関知せず、様子を見ることもなく、応援団の2年生・3年生の約20人によって覚えるための強制練習を受けることになります。

練習方法としては、応援団が各クラスに2~3人ずつに分かれて、シフトでクラスを入れ替わり立ち替わりに回って、大声で歌ってそれを1年生に歌わせます。当然、みんなそんなに簡単に歌詞もメロディーも覚えられることはありません。

覚えさせ方は単純で、「怒鳴る・殴る・蹴る」です。

1年生は入学早々で、いろんな中学校から生徒が集まっており、各クラスに知り合いもいないので、1年生で団結して反抗しようとはなりませんでした。

こういった応援団練習があることを知らなかった生徒は面喰います。僕も知りませんでした。

僕は中学時代、とても尖った生徒だったので、初日からこの応援団の上級生に思い切りガンをつけました。このことが発端となり、極真空手に通っていた上級生だったと思いますが、一番喧嘩に自信がある空手野郎が僕の専属担当になったのです。

正直、格闘技未経験だった当時は尖っていようとも上級生応援団全員とぶつかる勇気もこの空手上級生に喧嘩で勝つ自信もなかったので、殴られるままになりました。殴られ人形です。

毎日、朝・夕の2時間この空手上級生野郎に顔面を好きなだけ殴られ、飛び蹴りで飛ばされ、練習の終わりには机を思い切り蹴飛ばされ、机から飛び出て床に散らばった教科書類を、練習後に一人でただただ拾い集めて机の中に戻しました。これが1ヶ月続きました。

そして、調子に乗った他の応援団のデブやチビにも顔面を殴られるという屈辱を受けることになりました。

僕は助けを周囲に求めなかったし、教師も誰も助けてはくれなかったし、周囲の同級生も助けてくれる人はいなかったし、助けられるだけの力を持った人がいないのも仕方のないことでした。

ただ、僕は「助けてくれる人など絶対に現れない」と確信を強め、「暴力からは自分で自分を守るしかない」という現在の意識を強く抱くことになった屈辱の長い1ヵ月でした。

僕はこの15歳の屈辱以降、長く様々な格闘技と関わっていくことになりますが、「この時の屈辱を人生で2度と味わうつもりはない」という熾烈な決意が全ての原動力となっています。

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当然、こんなことは両親には一切話しませんでした。「情けない、知らせたくない」という気持ちが子供は強いからです。

練習開始から何週間後かには、硬式野球部に入部したことにより、硬式野球部だけは練習優先という特権から、夕方の練習は免除になりました。

でも、僕は本気で「学校を辞めたい」という思いに揺れ、「絶対この空手野郎だけは許さない、自宅を調べあげて乗り込んで復讐してやる」という別の怒りにも揺れました。

その後、硬式野球部を辞めてから柔道部に移り、ひたすら喧嘩に強くなるためだけに練習を続けました。しかし、空手野郎に復讐することはありませんでした。

僕の一学年上の柔道部の主将は、僕は好きな人でしたが、身長190cmで、私立強豪校のライバルに負けるために全国までは行けませんでしたが都道府県大会で常に準優勝している強い先輩でした。その先輩はキャプテンでありながら、「ゲームセンターでゲームしたいから今日は休むわ」という憎めない人でした。

空手野郎がなんとその先輩と親しげに話しているのを目撃してしまい、「何だかなぁ」と復讐しにくい微妙な心情になり復讐を中止した次第でした。

ちなみに、この暴力まみれの応援団練習は、僕たちの学年を最後に中止になりました。

僕が硬式野球部に入り、夕方の応援団練習に参加しなくなったため、なんと寂しくなった空手馬鹿野郎が、他の生徒にまで飛び蹴りを喰らわせて「腕を骨折させた」のです。

その結果、その生徒の親が激怒してマスコミに訴えて世間に報道されたため、大問題となり廃止となったのでした。

たぶんですが、応援団練習で暴力を調子に乗って振るっていたのは空手野郎一人が勝手にしていたような気がします。もともとは、そんなに暴力は酷くなかったんじゃないかな。だから、ずっと続いていた伝統だったようにも思います。

しかし、ああいう馬鹿な軍隊的陰険行事がなくなったのはいいことだなぁと思っています。

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