トーク・会話・雑談における『強固な癖』という鉄筋棒

「トークの本質は何も考えずに話すこと-それはどうすれば可能になるのか探ってみる」

  • トークのぐだぐだカクテルその16

★ 強固な癖

人が会話するときに、その人はその人の幼少期や青年期や大人になってからの様々な体験を積み重ねた上での、『発想・言回しにおける強固な癖』に無自覚に縛られて発言しています。その無自覚さがその人の自然体です。

嫌な奴はいつも嫌な事を言って周囲に嫌われていますが、それはそいつにとっては昔から積み上げてきた自然体なトークなのです。曲がった『鉄筋の棒』なのです。治すことは困難で、溶接したり圧力機で曲がりを無理やり戻したり、もしくは廃棄して新品と交換しないと駄目なほどです。すぐに「死ね」という口癖のある人間は親しい間柄や家庭内ではいつも気軽に「死ね」と口にしていることでしょう。

人が会話を始めるときの『発想』⇒『連想』⇒『言回し』といったときに『頭に思い浮かぶ文章』は、幼少期のころから、自分に刷り込まれているものが大部分をしめます。家庭環境に、成育環境に、幼年時・少年時・思春期の人付き合いや、それに伴う自己認識像に大きく左右されてしまいます。これは、『非常に強固な癖』として心の奥底に澱んで沈んでいます。

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★『鉄筋の棒』が真っ直ぐに伸びたり、曲がったりしていく製法工程

明るい家庭や、言いたいことを言って親がいつも笑ってくれたり一緒に下らないことを言ってくれたりしていた家庭の子供は、『面白いことを繰り返し言えるという強固な癖』を育成環境の中で身に付けていきます。だから、面白い人はいつも面白いことを言います。


反対に暗い家庭で育ったり、堅い家庭や、虐待を受けた家庭、親が不在の家庭で育つと、『上手く話せない・暗い話題を口にだす・つまらないと言われる堅い話が多くなる・人に対する不安感が雰囲気に出る・孤独感を引きづった話題を口に出すという強固な癖』を幼少期、育成期、思春期と身に付けていきます。だから周囲から孤立しやすい会話ばかりしてしまったり、過度に対人会話に緊張したり、他人に馴染めない性格・会話になりやすいと考えています。 だから、つまらない人はいつもつまらないことを言います。緊張する人は、いつも緊張しています。

なお、『鉄筋の棒』の癖には2種類あり、


『意識化できる』クセ
『無意識内に澱んで沈む』クセ


とに分類できます。


★①『意識化できる』クセ

このクセは単純で慣れによってできるようになります。
例)
野球部あいさつ⇒「ちわーす」
社会人⇒「御社は~」
空手⇒「押忍、失礼します」

これらは、表面的な文章であり「意識化できる」ので慣れれば、何ともなく簡単に使用できるようになります。

★②『無意識内に澱んで沈む』クセ

このクセを修正することは非常に困難です。
例)
「その腕時計素敵だね」「その腕時計高いの?」「その腕時計安いの?」「その腕時計ダサいね」「その腕時計の色変だね」「その腕時計の時間見にくいね」「その腕時計俺にくれない?」
どんな状況で、どんな相手に、どんなことを言うのか、それは自由です。沈黙でもいい。ただ、おかいしことを言う人は、かなりな頻度でおかしなことをいつも言う。無自覚に話す事柄がその人の自然体で、『鉄筋の棒』の曲がりが表れている。相手との関係性によっては上の発言は全て、ツッコミだったり、好意からのちょっかい発言だったりもする。だから間違いとも言い切れない。ただ発言と状況に違和感が生じていれば、その発言は『強固な癖』から無自覚にでてきた自然体な歪み発言と言える。自分が一体どんな発言の傾向に捉われているのか。自分の『鉄筋の棒』は変な曲がり方をしていないだろうか。


こういった『強固な癖』を治療するには、自分の、成育環境の根本となっているものに目を向け、未知の体験に挑戦し、自分の中の経験を塗り替えて行き、とにかく、成育環境で身に付けた、自分の心の奥底にあるものを破壊していく必要がある。自分という個人の歴史や過去の壊れた部分をアンインストールして、自分の内面の奥底にあるハードディスクに、新たな考え方や感じ方を丁寧にインストールしていかねばならないという、『通常の人間が実行する必要性のない困難な作業を少しずつ進めていく必要性が認められる』のです。


それを出来なければ修正できない程、人間の会話・性格というものは変えることが難しい。表面的に、短期的には無理して、変えることができても、根本的に、長期的に変えるには、内面の奥深くの考えや、体験を新しいものに替えなければならないように思います。



これが本当に難しい。


自分の性格を偽って明るいキャラを演じようと背伸びしても、背伸びに疲れて、また元の性格に戻るだけです。身長を伸ばそうと背伸びしても、疲れてカカトを下せば元の身長が待っています。表面的な小細工にはさほども意味はありません。この世に出ている会話や性格改善の本で、こうした根深い部分に触れている本はありません。だから、そういった本を読んでも何も現実は変わらない。

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