護身で悪人をぶん殴る(6)・人を仕留める格闘技

護身とは「人を仕留める」ことです
人の仕留め方って難しいです、どうやって仕留めたらいいかわからない
それが、普通の状態です


殴る・蹴る・投げる・刺すってどうすればいいのか


仕留め方を学ぶということは、料理で言えば、「魚のさばき方」を覚えるようなものです、魚をさばくには、鱗を削ぐ、三枚におろす、内臓をとるというように手順があります、手順を繰り返し実行(練習)して、慣れが生じて簡単になります


これに慣れたお母さんやお父さんは、簡単に「魚をさばける」ようになります

ホーリーランド (1) (Jets comics (846))

ホーリーランド (1) (Jets comics (846))



私が、格闘技を学ぶ以前は、学校の教室や廊下で喧嘩をしても組み合ってもつれて、倒れて、力で抑え込んで、なんだかよくわからないけど勝った風になって「ごちゃごちゃ」した結末を迎えていました


15歳ころ、上級生集団からリンチ的暴力被害を約1ヵ月毎日受けました
私は、その時「逃げたい・消えたい」という惨めな逃走したい気持ちと「こいつらの実家を全部調べ上げて、後で自宅に乗り込んで一人一人復讐してやる」という抵抗の感情を抱きました、しかし、自分には復讐する術がない、ナイフで刺すことは簡単ですが、それはしたいとは思わない


ということで、「復讐する術」・「護身する術」を手に入れるべく硬式球技部から格闘技部に部活替えしました




「人の仕留め方」を考える・「魚のさばき方」を考える

仮にA子さんという人が、復讐すべき相手を「殺したい」と決意したとき、例えばですが、自宅で包丁を持って、前に刺す練習100回、振り回して傷つける練習100回、首を狙う練習100回、胸を刺す練習100回、腹を刺す練習100回、太腿を刺す練習100回を毎日繰り返せば、かなり「殺す練習」をしていると言えるでしょう、しかし、そんな女は頭がおかしい


健全なのは、「殺す」練習ではなく「殺せる状態」へ手順を踏んで至れる練習をすることです、それが、護身として格闘技だと思います


ボクシングで言えば、顔面を殴って戦意を失わせるとか
空手で言えば、ローで泣かせるとか、正拳で肋骨を折るとか
柔道で言えば、投げて痛めつけるとか、投げてから顔面を蹴るとか、締め落とすとか
総合格闘技で言えば、金的を狙うとか、タックルしてパウンドとか


「魚をさばく」といった手順を踏む感じで、やるべきことが具体化(殴る・蹴る・投げる)できて、方向性(戦意を喪失させる、恐怖心を植え付ける、殺せる状態に追い込んで相手の出方を待つ)を持って護身するのです、格闘技をはじめる前は、訳も分からずぶつかり合って力任せに倒しあうという「ぐちゃぐちゃな」な具体的手順と方向性を欠いた喧嘩しかできませんでした、当然ですね、練習していないので


個人的、綺麗な「悪意性向人間」の仕留め方

具体的手順 ⇒相手を掴んで道路に投げる
      ⇒目の前に転がした顔面を蹴りまくる(つま先や踵で)
方向性   ⇒恐怖心を植え付ける(悶絶の声、血、骨折、打撲、涙、よだれ)
      ⇒謝罪させて終わる

という流れが好きです
(これでも向かってくる相手は、危険なので、小指の骨から折っていく、締め落として失神させて太腿などにかかと蹴りをガッツリ入れて意識が戻ったときに立ち上がれない状態に調整しておく)
(場所や、時間帯によっては、走ってその場からさっさと逃げます、警察沙汰になると相手が悪意をもって攻撃してきた場合でも、任意同行されたりして時間の無駄です、通報で駆けつけるので警察の人にはどっちが悪人なのかなかなか分かってもらえないでしょう、ちなみに日本の刑法は「正義」を重視していいません、殴ったとか、「行為と結果」重視の法律になっています、護身したらさっさと逃げることは大切です




護身は、練習すれば、できるようになります
自分より強い相手に勝つことは、非常にハードな練習が必要となりますが、「練習をしていない過去の自分」、「手順と方向性を知らない過去の自分」を想定して闘ってみれば、「過去の自分」には簡単に勝てるようになります
護身を学ぶときに大切な考え方は、「過去の自分」より少しでも強くなれれば、それで素晴らしいという発想です

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