友達参考文章⑨-『孤独を理由に友人を求めるようなことはしたくない』というブログ記事さん

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下記の『ただの自己満足だよ』ブログさんという方の記事に参考にしたい文章があったので抜粋記録させてもらいます。ー部分抜粋(赤字変換7✪実施)ー

ー中略ー
強く意識するところが孤独を理由に友人を求めるようなことはしたくない、というところです。


自分の孤独を埋めるために。一人では不安だから。誰かと一緒でいないと怖いから。だから友人をつくって自分の近いところに人を置いておこう、置いておきたいというのは相手に対して失礼な気がするし、そんな動機で作った友人には大した興味やそこから得られること与えられることも多いようには思えない。


前者の理由であれば近くにいた人であればだれでもよかったわけで別にあなたでなくてもよかった。なんか失礼じゃないですかね。


孤独を感じるっていうごくごく自分の内面にのみ起きている現象を解決するために自分以外の他人という要素を、それがすでに友人関係を築いていてお互いに信用している人であればいいのですが、そうでもない全くの他人を利用して解消しようとしている自分に嫌悪感を感じてしまいます。
ー以下略ー

ー全記事抜粋(赤字変換7✪実施)ー

いなきゃいないで本当にいいと思ってます。それで人間の価値が決まるわけでもないし、友人によって人生が幸福であるかどうか決定されるわけでもないのだから。しょせん友人なんて水物、消費財。すぐに変化し現れては消えていって変わっていってするものなのだから人生の価値すべてをそこに乗せるほど私にとっては重要ではありません。


もちろん友人こそ我が人生。いかにして数多くの友人をつくり、いかにしてその人たちを繋ぎ止め広大なネットワークを築くかが私の人生において最大の価値です、というのであればどうぞそこに対して邁進していってくださいというところですが、ただどうやら私はそうとは思えないぞと。私はどうやらそこに対して人生の大きな部分を乗せられるほどの価値を見出していないぞと。


そう心のどこかで思うのであれば是々非々、そんな方には世間の多数の声なんて何のその、我が道を雄々しく突き進んでほしいのです。


なんだか小さいころから友達友達友達と、とにかくみんな友達になぁ~れと言われながら育ちそれ以外の情報を与えられずに大きくなるので友達、絶対、というような価値観が世の大半だと思うんです。


かくいう私もどうしても人と仲良くなれない、別にしゃべることもない、なぜなら大半の人に興味がないから、大半の人がやっているようなみんなでわいわいがやがやと楽しくやりましょうというのが私は別段楽しくないから、親しくする理由もない、でも周りからは友達友達と言われる、今までの教育もそういう形で受けてきたので私がやはりおかしいのかと、そんなように悩んでいました。


これは生来のものだ、どこでどう選択したかは知らないがこれはもう私の血肉になっているのだからどうしようもない、母さんごめんなさい望んだ子にはなれませんでしたよ、と心の中で思いながら無理をすることを諦めてからずいぶん生きることが楽になったものです。


誰もやらないからとか他人とは違うからと、何か揚げ足を取られることを恐れてやらなかったことをお前らのことなんざ知ったことではない、私は私のやりたいようにやりたいことをやると。


そちらとこちらでは立っている土俵が違うのでお互いの主権を侵害しない範囲でお付き合いしましょう。侵犯してきたら許さないけどなと。


自分の思うところを思うが儘に行動して、自分のあり方をそのままに表現してそんなように生きて人に受け入れられなくてもよし。受け入れられたらよかったねとそんなスタンスで生きるようにするとずっと生きることが楽になりました。


もっと幼いころ小学校か中学校か、そのくらいのころに教育を施す側の人間からもっといろんな価値観を提供してもらっていればもっと変わっていたんだろうなと。教育を施す側の人間がもっと受け手であった私に対して自分の考えと生き方を体現した人物として教えを与えてくれていれば、青年期あれほど悩み苦しむこともなかっただろうなと。


まぁ私のような手遅れの人間などどうでもいいのですが私の後の時代を生きていく後進の方々には世の一般などという存在する用でしえないものに影響されるよりも自分の人生を自分で描いて生きていってほしいものです。私の関わる範囲でですがね。

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