凶悪殺人犯「山地悠紀夫」25歳死刑されるための人生


山地悠紀夫(やまじゆきお)
1983年8月21生(昭和58年8月21生)

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(22歳時画像⇒25歳時死刑執行)
16歳で実母を金属バット殺害、20歳で少年院出所後、ゴト師行為で窃盗未遂罪逮捕起訴猶予
22歳で赤の他人の姉妹をナイフ殺害強姦、25歳で死刑
山口母親殺害事件(実母殺害) Wikipediaリンク
大阪姉妹刺殺強姦事件(完全な他人姉妹居室侵入2名殺害) Wikipediaリンク
山地悠紀夫事件


僕は、殺人犯の生い立ちに通常大した興味がないが、こいつの家庭環境・思春期には透明に哀しみを感じる。(大阪姉妹被害者については御冥福お祈りします)
■―上記Wikipediaリンク及びその他ネット記事より抜粋加筆―

父親は様々な職を渡り歩いていたが、酒癖が悪くしばしば妻や少年に対し暴力を振るっていた。小学5年生時に父親は肝硬変(アルコール中毒)で死亡。少年は小中学校とイジメられ、「悪魔」と呼ばれたりしていた。中学2年の頃から不登校気味となり、中学3年には3分の2近くを欠席し、修学旅行欠席。母親には買物依存症など様々な借金(500万~1000万円程度詳細不明)があり、借金取り立てに迫られたり、家賃や水道料金を滞納していた。生活保護も申し込んだが認可されなかった。少年は進学できず中卒で、しばらく就職先が見つからなかったが、知人の紹介で新聞販売店で働き始めた。収入約9万円のうち半額を家に入れていたようである。母親には再婚話が浮上。少年は、「俺は邪魔」と一人暮らしを計画。その最中、少年が交際したいと考えていた女性の携帯電話に、母親が無言電話をかけていたことが判明した。少年は母親に勝手に無言電話したことを問いただしたが認めず、母親が少年に対し「出て行け」などと言ったことに腹を立て、借金の事も絡んで口論となり、頭に血が上った少年は金属バットで母親の頭と顔と胸などを殴り倒し母親を滅多打ちにし殺害した。その後、少年院出所後の2005年2月ごろから、パチスロ機を不正操作しコインを盗むグループに加わるが(少年は、ゴト師グループとして窃盗事件で逮捕され起訴猶予処分で釈放)、グループが福岡から大阪に活動拠点を移した同年11月には稼ぎが上がらず、「離脱したい」(役に立たず追い出された説もある)旨を仲間に伝え、活動拠点のマンションから外に出た。

離脱後、近くの境内や公園などに野宿をしていた。
成人男22歳、身寄りなしホームレス、アル中父親から虐待被害、父親小5で死亡、貧乏幼少期思春期、借金取り立て、家賃等滞納思春期、小中学校イジメ、中学卓球部幽霊部員、悪口悪魔、中学不登校、修学旅行不参加、完全中卒(高校中退ではない中卒)、新聞配達で家に入金、少年院出所後に加入した犯罪グループにも居場所なし、住居不定、無職、前科「殺人」の元母親殺し。
-この22歳の人生履歴書は悲惨だ-

僕も紆余曲折があり25歳まで無職だったが、こんな人生履歴書の前では、自分の履歴書の傷などかすんでしまう。

山地悠紀夫はその後まもなく、犯罪グループが拠点にしていたマンションに居住していた姉妹を刺殺。姉(当時27歳)がドアを開けた瞬間に背後から襲撃してナイフで胸を突き刺し、片足のズボンと下着を脱がせ強姦、跡を残さないための工作を行った。約10分後には妹(当時19歳)が帰ってきたためナイフで胸を突き刺し、姉のすぐ側で強姦した。その後、ベランダで煙草を吸った後に姉妹の胸を再び突き刺してとどめを刺し室内に放火し現金5000円や小銭入れ、貯金箱などを奪った上で逃走した。2人は死亡した。

死刑でいいです―孤立が生んだ二つの殺人 (新潮文庫)

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大阪美人姉妹殺害事件―神さんに嫁入りした娘たち―

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山地については発達障害についての議論もあるようですが、僕は「結果の重大性」を重視するし、殺人犯に「更生の必要性」をまったく認めていないので、「障害と犯罪の因果関係」についてこの事件では関知しません。


■「法律を守ろうとはそんなに思っていない」
■「人を殺す事と物を壊す事は全く同じ事」
■「ふらっと買い物に行くように、ふらっと人を殺しに行ったのです」
「生まれてこない方がよかった」
「何のために生まれてきたのか、答えが見つからない。人を殺すため。もっとしっくりくる答えがあるのだろうか。ばく然と人を殺したい」
■「私の考えは、変わりありません。『上告・上訴は取り下げます。』この意志は変える事がありません。判決が決定されて、あと何ヶ月、何年生きるか私には知りませんが、私が今思う事はただ一つ、『私は生まれてくるべきではなかった』という事です。今回、前回の事件を起こす起こさないではなく、『生』そのものが、あるべきではなかった、と思っております。」
■「守るものも失うものも、居場所もない。引き留める人もいないなら、やりたいことをやってやると考えた」
■「法律どおり死刑確定から6ヶ月以内で執行してください」
■2009年7月28日に死刑執行、享年25歳

この事件について、一般に言われているような快楽殺人犯とは思わない。ただの自暴自棄な死刑希望殺人者にしか思えない。22歳までの人生で殺人事件数は2件、被害者3名。死刑は当然だ、それ以外ありえない。目立つのは、本人が死刑を本気で望んでいたところ。証拠隠滅もすごく雑で、すぐに逮捕されている。本当の快楽殺人犯はもっと計画的に発覚しないように10人とか20人とか単位で人を快楽に溺れながら殺すものだ。彼は動機に、殺人がもらたす性的快楽欲求をあげていたようだが適当に供述しただけの「嘘」だと思う。ただ、追い詰められた人生(彼はそれ以外の人生を知らない、誰も教えてくれたことはない)に立ち向かうことができず、本人が主体的自殺に関心がなく、好き勝手に振る舞い(強姦・強盗・殺人)、死刑に辿り着いて人生に「さよなら」したかっただけだと思う。

死刑で当然の男だが、こいつの養育環境は悲惨すぎる。人生は悲惨すぎる。かける言葉もない程に。彼の「誕生」からはじまった人生は、「死」のその時まで憐れだった、と僕は感じる。彼の人生観に僕は共鳴する部分がある。彼の「生」への疑問なんてのも、僕は共鳴する。
(大阪姉妹被害者については御冥福お祈りします)

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