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★村上春樹「ノルウェイの森」の正しい読み方ー感想とあらすじ

★僕は、僕なりの理由があって「ノルウェイの森」を好んでいる。

正しい読み方というのも怪しいものだけど、自分なりの正しい読み方を説明してみたいと思う。
(ちなみに映画は駄作でお話にならなかった。映像は綺麗だったが、直子の配役とか致命的)

多くの人がこの小説の内容を理解できないという感想やコメントは良く目にするし、実際に理解できないという人と話したこともある。普段、僕がそうした人に説明することは何もない。何人かのブログなどでの感想で「この本が好き」と書いている人の意見も読んで見たが、正しい読み方をしていると感じられるものは皆無に近い。ただ、感覚的に好きとか全部読めたという程度にしか思えない。まあ、正しいかどうかなんてどうでもいいし、個人の読み方に正解も不正解もないというのが小説を読む楽しさでもあるけれど、それは承知の上で書いてみます。

そうなんだ、彼らのような読み手には、幸運にも「ノルウェイの森」を理解できるために必要な人生の暗部のような経験が発生していない。







★この小説をきちんと理解できている読者は皆無に近い


不遜で挑発的な言い方をすれば、この小説をきちんと理解できている読者は少数である。
この小説には、『共感性』に欠かせない条件がいくつかあり、その条件を体験しているもの程、強烈な『共感性』を持つことになる。その条件を持つ少数派だけがこの小説を正しく読むことができる。ちなみに僕は30才頃にこの小説をはじめて読んだ。僕としては適齢期にこの本を読んだのだと思う。僕は、今ではもう既にこの小説の主人公「僕」の年齢37歳を越えている。そうするとなおさら感じ方も俯瞰的になる。もし、僕が中学生などの人生での体験を肌で感じていない時期にこの小説を読んでも、たぶんというか当然何も感じ取ることはできなかったと思う。

なお、僕はまったく村上春樹ファンでもアンチでもない。デビュー作の「風の歌を聴け」を「ノルウェイの森」の後に読んだだけ。もっと読みたい本が別にあるので、将来村上春樹の他の作品を読む可能性は不透明。(追記-今後、有名な作品については読む予定)

小説内に比較的目立つsexの記述については、僕はエロとは無関係に感じている。肉体的な触れ合い、「感情の接触度合い」の強化を表現しているように思う。小説内でのsexは、男女の「感情の接触度合い」の高まりや上昇を具体的に表現する装置に過ぎないと感じる。主人公とレイコさんがsexするのも二人の信頼感の高まりや出会うことが今後ないであろう喪失感などを表現しているに過ぎない。現実世界でも、人間的な好意を本当に抱いた女性とは、付き合うとかそんなことは別にして、気持ちの奥底に横たわる相手への好意からSEXしたくなることくらいあると思う。だから僕は、この小説におけるエロ場面に不自然性は感じない。「ノルウェイの森」では、「感情的な接触度合い」の高まりを具体的に表現するsexとは対照的な、「虚無な接触」のsexも表現されている。この小説内に表現されているようなsexは、僕の知る限り現実に実在している。


ノルウェイの森」は恋愛小説として売り出されているが、そんなものではない。
恋愛小説などではない。この小説は『死・自殺・生・人生・運命』について書かれている。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

村上春樹はこの小説を自伝的なものとは明言していない。つまり、作品内の出来事はすべて、作者が読者を惹きつける装置として詰め込んだだけの可能性も充分ある。登場人物の運命や設定は、たんに作者の遊びなのかもしれない。しかし、この小説はある種の体験を肌で感じてきた人間にとっては強烈な『共感性』を呼び起こす。とても重要と言える位置を占める作品になりうる。ふとした登場人物の会話や文章の隅々にまで深く『共感性』を呼び起こすものがこの小説には存在している。



★『強烈な共感性』を体感させる条件。ある種の人生イベントの有無。


1 若い時期に、近親者・同級生に自殺者が存在している
2 死(極めて身近な範囲の)と、若い時期に深く接触している
3 恋人や友人やその他の近しい存在に重度の精神病者がいる・彼らの存在が消えている
4 周囲で発生した自殺の数が多い
5 読者自身が精神疾患もしくは近似した感覚を有している

6 身内の介護に取り組んだことがあり、糞尿等の介助実体験がある
7 職業として日常的に精神疾患者の対応をしており、その生活を間近に見ている
8 性について虚無感を抱いており、ゲーム性をもって性交を積み重ねたことがある
9 学生時代に、学生寮に住んだことがある
10人生放棄に近い状態で、全国を野宿旅などで放浪したことがある

条件9や条件10は正直どうでもいいが、とりあえず、上記の条件1・条件2・条件3の体験は必須だと思う。それがあれば、この小説は正しく読める。これらに該当する体験が皆無ならば、この小説を正しく読みこなすことは不可能で、『共感性』を抱くことはまったくできないと思う。よく意味の分からない小説になると思う。この小説を読む以前に『死の周辺』に関する体験がない人は、「やれエロ小説だ、やれ意味不明だ」という感想になるのも致し方ない。


個人的には条件1から10まですべてに該当している。これらの条件に該当すればする程、「ノルウェイの森」という作品の見え方は、遥かにリアルのものになる。この小説はリアリズム小説に位置づけられる作品のようだが、村上春樹作品においては、リアリズム作品は特殊らしい。僕は、この小説を読んだときには、稀にしかない「まるで僕ために書かれた小説のようだ、そしてこんな文章やコトバを選択できる作者はこれらを実体験したのだろうか、自伝ではないのか、作者もこの類の苦しみを実体験として知っているのではないか」という思いに包まれた。


僕は日常生活において他人に、過去の既に発生した『人生の暗部』を口に出すことはない。胸の奥に隠しているに過ぎない。自殺した家族、17歳で自殺したライバルだった同級生、それからの連鎖自殺、精神病の発症で人生を喪失した人々のこと、事故に巻き込まれて死亡した僕の息子。そうした諸々は誰かに話したところで、暗さが漂うだけだから基本的に無意味。これらのすべては、胸の奥に沈ませておくだけのもの。「ノルウェイの森」という小説は、僕のこうした胸の奥に沈ませている感情に強く響いた。この小説には、文脈のひとつひとつ、文章の表現ひとつひとつに胸に刺さるようなコトバが見つかる。「胸に刺さる文章・表現・コトバ・セリフのひとつひとつに『共感性』を抱きながら物語の世界に惹き込まれていく読み方」が「ノルウェイの森」の正しい読み方だと僕は個人的に思っている。



要するに、「人生の暗部」ともいうべき出来事が既に自分の人生の今までの過程において周囲で発生しており、内面深くにそういった既に起きてしまった出来事を包み隠している人たちほど、理解できるのがこの小説だと僕は思う。「意味が分からない、これはエロ小説だ」と漏らす読者とは、読み方がまったく違っている。


断っておくが、この小説は自殺中心の物語だ。周囲には別な形の死(病死)が散りばめられている。その物語を主人公の僕が寄り道しながら進んでいく。恋愛小説なんかじゃない。恋愛は物語を彩りよく進めるための小舟に過ぎない。



ちなみに、下記の記事も参考になりました。

上記記事から一部抜粋。出典は「村上春樹全作品1979~1989⑥ノルウェイの森」(講談社,1991)の序文にあたる、「自作を語る」100パーセント・リアリズムへの挑戦と題された小冊子、だそうです。
(文章の太字変換、色変換等は7✪が実施したものです。)

この話は基本的にカジュアリティーズ(うまい訳語を持たない。戦闘員の減損とでも言うのか)についての話なのだ。それは僕のまわりで死んでいった、あるいは失われていったすくなからざるカジュアリティーズについての話であり、あるいは僕自身の中で死んで失われていったすくなからざるカジュアリティーズについての話である。僕がここで本当に描きたかったのは恋愛の姿ではなく、むしろカジュアリティーズの姿であり、そのカジュアリティーズのあとに残って存続していかなければならない人々の、あるいは物事の姿である。成長というのはまさにそういうことなのだ。それは人々が孤独に戦い、傷つき、失われ、失い、そしてにもかかわらず生き延びていくことなのだ。

この文章によれば、村上春樹が『ノルウェイの森』を恋愛小説として描いていないことが明確になる。恋愛小説という謳い文句は商業的な宣伝文句に過ぎない。村上春樹のまわりで死んでいった、あるいは失われていった少なくない過去の人々の存在がこの文章からはうかがえる。



★登場人物の簡単な紹介

メインの登場人物は3人。


★僕 ⇒主人公、現実感が薄い
★直子⇒欠落を抱えている不安定な女の子
★緑 ⇒主人公の大学の1年後輩の女子大生、サバサバした雰囲気の魅力的な女の子


そして、サブキャラクターが5人。


★キズキ⇒主人公の高校生時代の親友
★突撃隊⇒学生寮の変わった学生
★永沢さん⇒学生寮の先輩、東京大学法学部、ハンサム、金持ち、医者の息子、100人程度の女と遊びで寝る、虚無な天才、外務省に簡単に合格する
★ハツミさん⇒永沢さんの恋人、良い人
★レイコさん⇒メインキャラの直子が入院する遠くにある療養所で暮らしている女性、音大卒の元ピアニスト、自ら無理やり離婚した「夫と娘」は遠くの街で再婚して日常生活を過ごしている


以上8人のうち3人が自殺する

★キズキは17歳で自殺する


★キズキの彼女だった直子は主人公と時間軸を絡ませながらやがて自殺していく


直子の姉は17歳で自殺している、直子は小学6年生時にその姉の遺体を第一発見する、直子の叔父さんは21歳で自殺している⇒これをどう捉えるかは人次第だが、率直に言うと自殺家系の一員であるということだ、そうした家系内において不安定な精神を抱えている者であれば、この設定描写に一種の怖さを感じる。実のところ、僕自身の家系に自殺家系的要素があるから複雑な気持ちでこういった描写を読み込む。こうした自殺家系の描写は、宮本輝の「青が散る」や曽野綾子の「太郎物語」にも見られたような気がする。


★永沢さんの恋人だったハツミさんは永沢さんと別れた後、他の男性と結婚し数年後に自殺する

緑に関しては、終末期での父親の病院入院話も出てくる。
緑の母親は癌と脳腫瘍で苦しんだ末に死んだ。
緑の父親も2年後に皮肉にも母親と同じ脳腫瘍で死んでいく、死の連続だ。
要するに、彼女は大学在学中に両親を喪失する。それも介護や病院での世話という現実的に面倒で悲惨な苦しみ方を見ながら両親を喪失する。(昔はモルヒネとかはあまり注射しなかった。僕の祖母も。苦痛に耐えながら死んでいった。)そして、人生を姉と二人で生きて行く。そこに主人公「僕」が絡んでくる。




★最後に・好きな文章抜粋でまとめ


これ以上の内容紹介は不要だと思うので、個人的に、好きな文章を抜粋して終わりにします。
これらの文章のコトバが、心に刺さるように肌感覚で理解できるだろうか?


生は死の対極として存在しているのではなく、その一部として存在している
死が僕に教えてくれたのはこういうことだった。どのような真理をもってしても愛するものを亡くした悲しみを癒すことはできないのだ。次にやってくる予期せぬ悲しみに対しては何の役にも立たないのだ。


★主人公「僕」――抜粋――

おいキズキ、ここはひどい世界だよ。

おいキズキ、と僕は思った。お前とちがって俺は生きると決めたし、それも俺なりにきちんと生きると決めたんだ。

季節が巡ってくるごとに僕と死者たちの距離はどんどん離れていく。キズキは十七のままだし、直子は二十一のままなのだ。永遠に。

彼女はそこにはいなかった。彼女の肉体はもうどこにも存在しないのだ。

★「直子」--抜粋--

「だって誰かが誰がをずっと永遠に守りつづけるなんて、そんなこと不可能だからよ」

「私は死ぬまであなたにくっついてまわっているの?ねえ、そんなの対等じゃないじゃない。そんなの人間関係とも呼べないでしょう?」

「うまくしゃべることができないの」

「私のことを覚えていてほしいの。私が存在し、こうしてあなたのとなりにいたことをずっと覚えていてくれる?」

「結論から書きます。大学をとりあえず一年間休学することにしました。とりあえずとは言っても、もう一度大学に戻ることはおそらくないのではないかと思います。休学というのはあくまで手続き上のことです。」

「だって私は永遠に回復なんかしないかもしれないのよ。それでもあなたは私を待つの?十年も二十年も私を待つことができるの?」

「あなたの人生の邪魔をしたくないの。誰の人生の邪魔もしたくないの」


★「緑」――抜粋――

「私おじいさん、おばあさん、お母さん、お父さんと四人看病してきたからよく知ってるのよ」

「口でなんてなんとでも言えるのよ。大事なのはウンコをかたづけるかかたづけないかなのよ」

「暴れたの。私にコップを投げつけてね、馬鹿野郎、お前なんか死んじまえって言ったの。この病気ってときどきそういうことがあるの。どうしてだかわからないけれど、ある時点でものすごく意地わるくなるの」

「あれ最悪の死に方よね。本人も辛いし、まわりも大変だし。おかげでうちなんてお金なくなっちゃったわよ」

「それから私に何してもかまわないけれど、傷つけることだけはやめてね。私これまでの人生で十分に傷ついてきたし、これ以上傷つきたくないの。幸せになりたいのよ」


★「突撃隊」---抜粋――

「僕はね、ち、ち、地図の勉強をしているんだよ」
「地図が好きなの?」
「うん、大学を出たら国土地理院に入ってさ、ち、ち、地図作るんだ」
なるほど世の中にはいろんな希望があり人生の目的があるんだなと僕はあらためて感心した。それは東京に出てきて僕が最初に感心したことのひとつだった。


★「永沢さん」――抜粋――

永沢さんが僕を好んだのは、僕が彼に対してちっとも敬服も感心もしなかったせいなのだ。読書家だったが、死後三十年を経ていない作家の本は原則として手にとろうとはしなかった。そういう本しか俺は信用しない、と彼は言った。「俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費やしたくないんだ。人生は短かい」

この男はこの男なりの地獄を抱えて生きているのだ。

「七十五人くらいじゃないかな」と彼はちょっと考えてからいった。「よく覚えていないけど七十はいってるよ」と。僕が一人としか寝てないと言うと、そんなんの簡単だよ、お前、と彼は言った。

永沢さんはその圧倒的な才能をゲームでもやるみたいにあたりにばらまいていた。だいたい彼は前にいる女の子たちと本気で寝たがっているというわけではないのだ。彼にとってそれはただのゲームにすぎないのだ。

ひとつ忠告していいかな、俺から
自分に同情するな、自分に同情するのは下劣な人間のやることだ。


★「ハツミさん」ーー抜粋ーー

「システムなんてどうでもいいわよ!」とハツミさんがどなった。彼女がどなったのを見たのはあとにも先にもこの一度きりだった。


★「レイコさん」――抜粋――

「年をとるのが楽しいとは思わないけど、今更もう一度若くなりたいとは思わないわね」とレイコさんは言った。「どうしてですか?」と僕は訊いた。「面倒臭いからよ。きまってんじゃない」

「あんなに苦労して、いろんなものをちょっとずつちょっとずつ積み上げていったのにね。崩れるときって、本当にあっという間なのよ。あっという間に崩れて何もかもなくなっちゃうのよ」 (※再発性の重度疾患を抱えているものだけが実感できる虚しさ)

「私はもう終わってしまった人間なのよ。私自身の中にあったいちばん大事なものはもうとっくの昔に死んでしまっていて、私はただその記憶に従って行動しているにすぎないのよ」

「これから二人で直子のお葬式をするのよ」「淋しくないやつを」
レイコさんはビートルズに移り、「ノルウェイの森」を弾き、「イエスタディ」を弾き、「ミシェル」を弾き・・
「この人たちはたしかに人生の哀しみとか優しさとかいうものをよく知っているわね」

「このお葬式のことだけを覚えていなさい。」




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ノルウェイの森」は本来、どう考えてもベストセラーになるような類の本ではない。この本は、ひっそりと静かに読まれるような類の本なのだと思う。だけど、優れた領域の名作と言えるのは間違いない。癒される部分もある、緑の存在、緑の父親との主人公「僕」の病室でのキュウリを交えた交流、レイコさんの立ち直り、再生の物語として終結しているところがこの小説の救いだと思う。主人公の「僕」や「緑」は身近な死を受け入れて現実を生きていき、「レイコさん」は病で失った全てをあきらめつつ、崩壊した人生の積み木を一個一個積み重ねるように生活を修復させて、現実社会に一歩踏み出していった。多くを喪失したにもかかわらず、生き続けなければいけない人々は存在する。

この小説は、究極的には、喪失から「再生」へと一歩踏み出していく過程を描いた物語である。

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