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護身で悪人をぶん殴る(4)・悪意性向人間の『悪意』の怖さ

護身で悪人をぶん殴る

護身て何だ
精神性について
護身とは簡単に言うと「悪意」を持って「暴力行為」をしてくる「悪意性向人間」から身を守ることです。

「悪意」のレベルは様々であくまで相手の意思次第です。

相手が何をしたいのか
殺したい、強盗したい、強姦したい
拉致して監禁して虐待したい、地獄の果てまで苛めたい
というレベルの強度な「悪意」をもつ「悪意性向人間」は実際、結構います。

こうした「悪意」はすべて、行為者より弱者にのみ向けられます。

行為者より強者や「悪意に強烈に抵抗する者」には向けられません。
①強者②悪意強烈抵抗者

「悪意性向人間」
は行き着くところ、
互いに殺し合いになり、「悪意性向人間」は悪意を安心して満たすことができないので、そうした面倒な相手を避けて暴力行為を発動しません。DV男は妻や年老いた両親にしか暴力を振るわず、虐待親は子供にしか暴力を振るわず、有名な不良は弱い者にしか恐喝せず、彼らはプロレスラーや相撲取りや暴力団組長に同じことは決してしません。犯罪者は常に弱い者イジメしか選択しません。

護身とは、

①強者に近付くこと
②強烈抵抗者になること

そして、精神的には、こうした「悪意性向人間に出会ってしまって、相手が「悪意」や「暴力行為」を示したときには、あらかじめ「闘う」ことを決意していること、強烈抵抗者として、こうした相手は「殺してよい」と決意していることが重要です、実際に殺すかどうかは相手との状況次第で判断すべきものですが、抵抗としての護身で相手を殺したとしても、それは社会的に許されるべき行為です。

こうした精神性がないと、本当の悪意に出会った時には食い物にされてしまいます。

綺麗事を並べる人は、すべて、通常悪意に襲われた人を助けることはありません、みな傍観者となり、逃げまどうだけです。口先だけの自己保身をするだけです。一般社会の生活でもこれに似た現象はよく見られます。

護身の精神性の本質は、「悪意性向人間」からの「暴力行為」発動に対して、相手を「殺しても構わない」ときれいさっぱり躊躇せず決意していることです。
個人的には、当然「悪人は殺してよい」と考えていますし、顔面を蹴りまくることや、骨を折ること、首を締め落として状況次第で殺すこと、周辺の道具(イスや包丁)を使って殴ったり刺したりすることに躊躇いはありません。「こうした行動へ移る速度の速さ」や「気性の剥き出し」が、護身の本質となり、「自分の安全」を守ることにつながります。(実際は、危険を避ける、さっさと逃げる、叫ぶ、助けを求める、闘う、殺す、と階層的に選択します)

繰り返しますが、

「悪意」のレベルは様々であくまで相手の意思次第です。

相手が何をしたいのか
殺したい、強盗したい、強姦したい
拉致して監禁して虐待したい、地獄の果てまで苛めたい
というレベルの強度な「悪意」をもつ「悪意性向人間」は実際、結構います。こうしたレベルの「悪意者」を想定して護身は考える必要があります、逆に言えば、こうしたレベル以外の「悪意者」は大したことがありません、本当に警戒すべき相手はこのレベルです。

「悪意」についての参考書

「少年A」14歳の肖像 (新潮文庫)

「少年A」14歳の肖像 (新潮文庫)

凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)

凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)

消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 (新潮文庫)

消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 (新潮文庫)

Goodな映画

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