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「友達なんて1人もいないぞ」と強気でクールに言いきってみたい

友達分析

ある程度、年を取ると友情は重要ではありません

独身の方の感じ方と既婚者や子持ちだと感じ方も大きく異なります

常に自宅で一人で過ごしているのか

常に自宅に配偶者や子供がいるのか

では日常生活がまったく違います

 

僕は、自宅に妻や子供がいるので、孤独感はないです

友情の捉え方は人様々です

子供は、幼稚園の仲が良い遊び友達をすべて「友達」とコトバ表現しています

妻は、浅く広く交流できるタイプでママ友とも自然につきあえます

僕は、深く狭くしか付き合わないタイプですが、最近は広くもなく浅くタイプです

 

他人とどう交流するかは、個人の人生観や価値観、性格、幼少期のトラウマ

いろいろなことに左右されます

僕自身は、孤立には少年期から慣れ親しんでいます

それを良しとはせず、改善にも努めてきましたが、飽きました

 

僕は今では自分を愛想よくも調整できますし、無愛想にも調整できます

子供の頃は、喧嘩っ早く、極端に尖った性格でした

 

かといって、それで大人社会にすんなり溶け込むことはできませんから、社会人になる前に、強烈な目的意識をもって自分をカスタマイズしました

参考:似たようなことを別な視点で考えている人がいたので記事を記録します。

 

僕は、完全な孤立者ではなく、社会にも適応していますし、無職期間もありましたが、会社に就職し、同期入社の友人や、大学生時代の心友といえる存在や中学時代の数名の友達は存在しています

 

しかし、そこら辺が最近はどうでもいいというか、重要じゃない

ほとんど、遊ぶ時間もないし、特に遊びたいとも思いません

そういう心境に到達したのは、個人的に、社会から、完全に消える体験を複数回長期的に繰り返したから、というのも一つの理由です

(病気・ひきこもり・刑務所などが完全消去体験です)

https://pixabay.com/static/uploads/photo/2015/09/04/23/29/cigarette-923192_960_720.jpg

長期間、社会から完全に消えた経験がある人も、少しはいると思います

友情なんてものが、どんどん切断されていきますね、薄いもの程、ばっさり消えます

長期間、ランダムに社会から完全に消えると、友達・友情・心友に抱く主観的な感情も変ります

ところで友達いるの?

なんてことを聞かれることは、年齢を重ねるとほぼありえないことです

しかし、最近幼稚園児の子供に「パパ、友達いるの」と聞かれることが何度かあって、子供は、僕の友達と家族ぐるみで数回ですが遊んでいるので、僕の友達の存在自体を知ってはいますが、あえて、「ママは友達いるけど」、

「俺は友達なんて1人もいないぞ」

と自信をもって偉そうに答えています

 

これが、なぜか気持ちいい

子供相手だから言い切っても大して問題にならない

何回も聞いてくるので何回も「友達なんて1人もいないぞ」とカッコよく言い放っています

 

友達の有無って主観的な自意識で判断されるあやふやなものです

ですから、あやふやさを認識したうえで、何人とかって確定できないものなので

強気であえて「0人」と言い切りたい、それが気持ちいい

 

追記:息子が小学1年生になりました。5才からサッカークラブに所属させ、現在はJ1ジュニアとスポ少の掛け持ちでサッカーをさせています。僕の子供時代とは違って、活発だし、友達もできて仲良く遊んでいます。子供はそろそろ「友達というコトバ」に敏感になってきたところで、僕が

  「パパはなぁ、友達なんぞ一人もおらんぞ、どうだ!」

と言うと、嬉しそうに安心感を抱くような感じで「パパ、だっさいね~」と大きな声で笑っています。この系統の発言は珍しいので、子供はなぜか喜びますね。

ー終了ー


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